春休みの宿題をする息子の様子を見ていてふと思った。
鉛筆を使っている。
シャーペンの存在を知らない彼は
あたり前のように鉛筆を使っている。
自分に置き換えると
中学校に入り、シャーペンを手にした時はすごく大人になったように感じた。
その後、ドクターグリップや、フォルダー、製図ペンとなり
今では
フリクションボールペンとなった。
その変遷は、腕が疲れない、かっこいいから、書きやすいから、削りカスが出ないから
道具を変えることで効率、使い勝手を良いものにする為のものだった。
即効性があり一定の満足が得られた。
効率、改善、新技術、建築も同じように日々進歩しているように見える。
しかし、すべてが万事良くなっていると考えるのは危険だと思う。
「進歩の影で失ってしまったものは何か?」
だからあえて鉛筆を使ってみることにした。
回顧礼賛になる必要はないが、それを丁寧に考えることを続けていきたい。
これから先、個人の設計士の存在意義はそこからしか生まれてこないと思う。
■外国に行けばボールペンで勉強している子供が多い。
日本の子供が鉛筆を使うことで得られる何かがあるはず。
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